佐野研二郎氏からデザインについて考える

パブロ・ピカソの「アルジェの女たち」という作品が、今年5月にクリスティーズオークションで最高額255億円で落札された。クリスティーズによると、史上最高額での落札価格だったという。

この作品は元々、フランスの画家であるウジェーヌ・ドラクロワの作品である同名「アルジェの女たち」を見たピカソが感銘を受け、インスピレーションを得て、描いたものである。ピカソは「アルジェの女たち」に関し、膨大な量のスケッチを残し、15枚の連作まで描いている。

ドラクロワ版「アルジェの女たち」
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画像出典:DELACROIX

ピカソ版「アルジェの女たち」
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画像出典:bloomberg.co.jp

2020年オリンピック・エンブレムのパクリ疑惑

さて、佐野研二郎氏が創造した2020年オリンピックのロゴがベルギーのリエージュ劇場(Théâtre de Liège)のロゴデザインからの剽窃ではないか。有り体に言えば、”パクリ”ではないか。そんなことが今、話題である。

話題のオリンピック・ロゴ (左がリエージュ劇場のもの、右が佐野氏のもの)
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画像出典:the huffington post

両者ともシンプルな形なので、偶然の一致ということもありうる。
デザインの記号的意味内容を考えると、左のリエージュ劇場のものは、<Théâtre de Liège>の頭文字、<T>と<L>をそのデザインに内包したデザインになっている。右の佐野氏のデザインはTは読み取れるものの、<L>にあたる部分に対し説明がつかない。

この件を発端に、佐野氏のデザインには、この作品以外にも多数、剽窃の疑惑ありと指摘されている。

デザインについて

そもそも、デザインとは何か。デザインとは人間の創造的過程の後に生まれる創作物である。
では、人間の創造的過程とは何か。今、これを語るにトマス・スターンズ・エリオットという詩人であり、文芸評論家の言を借りたいと思う。

エリオットは言う。詩とは没個性的である。と。様々なバラバラの要素を数珠のように連ねることで、素晴らしい詩は生まれる。その詩を創造した詩人そのものは媒介者に過ぎない。という意味である。つまり、人間の創造物には完全なオリジナルなものは存在しえず、必ず、何かしらの影響を受け、それをもとに創造的行為をせざるを得ないという意味でもある。

今、顧みるに、デザインとは何か。それは音・形・文脈・歴史、その他あらゆるバラバラにされた要素を、平面上に連ね、記号的な流動性と意味内容を持たせることであると言える。つまり、デザイナーとはエリオットの言う詩論と同様に媒介者に過ぎないということになるのだろうか。

オリジナリティーについて

音楽やデザイン・アートの世界では、通常行われていることであるが<習作>という行為がある。この言葉は既にある作品をもとにして、新たな作品を練習のために創造することを指す。

例えば、音楽であれば、ある曲の和音進行・構成を同じくし、別のメロディーを創造したりする。例えば、デザイン・アートであれば着想の元になる作品を色あい、形、コンセプトなどを同一にした別の作品を創造したりする。習作行為を繰り返すことで、より技術を高めたり、その芸術に対する造詣を深くする効果がある。これらの行為、あるいは似た行為をしたことがない、と言い切れる芸術家は存在しないといっても過言ではない。

また、仮にしていなかったとしても、必ず、それまでに自分が好み・選択してきた芸術に影響を受け、自らの作品を創っているのだから、それは完全なオリジナルとは言えない。その意味では、自らの個性=オリジナリティのみでものを創りうることはできない、と言い切る評論家も少なくない。

しかし、オリジナルなものは存在しうる。それはもとになる着想や要素は同じであれど、出来上がる作品が別個のものとして昇華している場合である。

創造者とは、いわば、鍋と同じである。そこに様々な野菜、肉を煮てスープを醸す。醸して出来上がるスープがその人の作品である。同じ食材を使用しても、醸し、出来上がったスープが全く違うものである場合もある。つまり、それはいわば作者のそれまでの経験から培われてきたスタイルが介在し、そのスープを全く別個のものにしてしまうことである。これは創造的行為であると言える。そうなれば、もはや、それは剽窃やパクリとは異なり、新しい価値を持った作品の創造的行為である。

最後に

冒頭で触れた「アルジェの女たち」。もともとはドラクロワの作品がもとになっているが、ピカソ版の作品は単なる剽窃なのだろうか。しかし、ピカソ版は元となるドラクロワの作品に対し、ピカソ自らのスタイルで昇華させたものを描いている。ピカソ版の「アルジェの女たち」にはその意味で、創造的価値がある。その創造的価値はもはやオリジナルのものであると言えよう。

佐野研二郎氏の場合はどうだろうか。
自らの作品として昇華し創り上げる創作者なのか。それとも、単なるフェイク(偽作)を横流しするだけの商売人、いわゆるアートゴロなのか。

いずれにせよ、真実は作品の内にあり。
各個人がくもりのない目で鑑賞し、日本が世界に対し、誇りを持って掲げるに足るエンブレムであるかどうか、ということではないだろうか。

最後に、1964年に開催された東京オリンピックのロゴを紹介したい。
デザイナー:亀倉雄策氏による作品である。

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画像出典:geradesoeben

金と赤。尾形光琳の作品にもみられる日本の伝統的な配色の一つである。

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画像出典:鳥丸かわら版

 

tetsurakujin

音楽家・デザイナーです。 自分が特に興味を持ったものや思索を経たものを取り上げていきます。

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